- 1 :名無し:22/12/17(土) 19:51:56 ID:dVaL主
普通ではありえない超常的な伝説や、浄土真宗教団の正史では語られない出来事
そういうちょっと特殊な話を淡々と時系列順に説明するわ
なお総数が思ったより多くなったので似た話は一つにまとめるで
前に同じスレを建てたけど規制食らって途中で終わったからリベンジや
- 2: 名無し:22/12/17(土) 19:52:10 ID:dVaL主
先に前に紹介できなかっとこから紹介しとくで
途中でレスなくなったら規制食らったという事で
- 3: 名無し:22/12/17(土) 19:52:16 ID:CAtu
神なんかいねえよカルトが
- 5: 名無し:22/12/17(土) 19:52:29 ID:dVaL主
- 4: 名無し:22/12/17(土) 19:52:28 ID:CAtu
- 8: 名無し:22/12/17(土) 19:53:05 ID:dVaL主
- 7: 名無し:22/12/17(土) 19:52:42 ID:zGtk
- 9: 名無し:22/12/17(土) 19:53:17 ID:IJzO
お前も壺の一団なんだろ?
- 11: 名無し:22/12/17(土) 19:53:31 ID:dVaL主
- 10: 名無し:22/12/17(土) 19:53:18 ID:dVaL主
その30不思議な力で病を治した
その31念仏を書いた紙が身代わりとなった
その32親鸞の下を訪れるようお告げがあった
その33鳥を沼に放つと島が浮き出てきた
その34大蛇を救った
その35牛が寺を建てるのを手伝った
その36餓鬼を救った
その37筑波権現の使いに見送られた
その38手の皮を剥がして念仏を書くと手が元に戻った
- 12: 名無し:22/12/17(土) 19:53:35 ID:C2Jk
- 15: 名無し:22/12/17(土) 19:54:44 ID:dVaL主
- 13: 名無し:22/12/17(土) 19:54:24 ID:dVaL主
その30不思議な力で病を治した
その30ア
常陸国のある村に腫れ物に苦しむ男がいた
そこを通りかかった親鸞は男を不憫に思い話しかけた
最初は親鸞を邪険に扱っていた男だが、親鸞の話を聞いていると徐々に腫れ物が治っていった
- 14: 名無し:22/12/17(土) 19:54:25 ID:826f
享年90←これ
- 16: 名無し:22/12/17(土) 19:55:01 ID:dVaL主
その30イ
そこで男が親鸞を焼餅でもてなし、これから先の病に苦しむ人々が救われるために何かを残してほしいと頼むと、親鸞は「石に爪で阿弥陀如来を彫っておいたから、その像に念仏を唱えなさい。」と言って去っていった
今でも茨城県石岡市には、その時の「爪かき阿弥陀像」を安置するお堂があり、焼餅が供えられる
- 17: 名無し:22/12/17(土) 19:55:20 ID:dVaL主
その31念仏を書いた紙が身代わりとなった
その31ア
常陸国大部に住む北条則義は殺しを好む大悪党であった
この男の妻は親鸞の教えを信じており、仏教に無頓着な夫に内緒で親鸞の下に通っていた
ある時妻が、親鸞が念仏を書いた紙に向かって念仏を唱えていると、則義が帰ってきた
- 18: 名無し:22/12/17(土) 19:55:39 ID:dVaL主
その31イ
則義は妻が紙に向かって何やら喋っていることに気付くと、浮気相手からもらった恋文を読んでいるに違いないと早合点して、妻を切り殺した
遺体を竹やぶに埋めて家に帰ると、なんと妻が出迎えるではないか
- 19: 名無し:22/12/17(土) 19:55:53 ID:dVaL主
その31ウ
慌てふためく則義を見て、ふと懐にしまった念仏の紙を妻が確認すると、無くなっている
不思議に思った則義が竹やぶを掘り返すと、件の紙が地面から出てきた
しかし紙は血潮に染まり、最初の二文字が袈裟懸けに切られていたという
- 20: 名無し:22/12/17(土) 19:55:58 ID:INKQ
そんなの信じてるとか頭大丈夫か
- 22: 名無し:22/12/17(土) 19:56:15 ID:dVaL主
- 23: 名無し:22/12/17(土) 19:56:27 ID:dVaL主
その31エ
これ以来則義は心を入れ替え親鸞の教えを聞くようになった
やがて則義は唯円という僧侶となり、親鸞の言行録として有名な歎異抄を記した
そして茨城県那珂市の報佛寺には、今もその念仏を書いた紙が残る
- 24: 名無し:22/12/17(土) 19:56:35 ID:o5RS
なんでいきなり30からやねん
- 25: 名無し:22/12/17(土) 19:56:49 ID:dVaL主
- 26: 名無し:22/12/17(土) 19:56:53 ID:dVaL主
その31オ
また同様の話は長野県長野市の康楽寺にも残る
親鸞の教えを信じる者たちが、三河で松平家康と戦をして負けたことがあった
その際領内の者は皆改宗する様に命じられたが、了西という僧は了承しなかった
- 28: 名無し:22/12/17(土) 19:57:02 ID:INKQ
- 29: 名無し:22/12/17(土) 19:57:27 ID:dVaL主
- 30: 名無し:22/12/17(土) 19:57:32 ID:dVaL主
その31カ
そこで首を刎ねられることになったが、何度切っても首が頭から離れない
それならばと三河を追放になったため、信濃に行き懐に入れていた親鸞自筆の念仏を書いた紙を取り出すと、やはり最初の二文字が切れていたという
- 32: 名無し:22/12/17(土) 19:57:43 ID:INKQ
- 36: 名無し:22/12/17(土) 19:58:48 ID:dVaL主
>>32
民間伝承として面白いやん
話としてユニークやし浄土真宗内部でもマイナーやから
このまま埋もれるのはもったいない
- 34: 名無し:22/12/17(土) 19:57:55 ID:dVaL主
その32親鸞の下を訪れるようお告げがあった
親鸞の弟子の筆頭に挙げられる二十四人の弟子たち、その中の何人かは夢の中のお告げにより、親鸞の下へ向かうよう指示されたという
念信は観音菩薩のお告げを受け、定信は聖徳太子のお告げで、信楽は薬師如来のお告げにより親鸞の下を訪れた
また明空は明成院という祠でお告げを受けたという
- 35: 名無し:22/12/17(土) 19:58:00 ID:4fhg
前のスレ出せや
- 38: 名無し:22/12/17(土) 19:59:02 ID:dVaL主
- 37: 名無し:22/12/17(土) 19:58:51 ID:INKQ
イッチ坊さんか
税金払えよ
- 41: 名無し:22/12/17(土) 20:00:28 ID:dVaL主
>>37
ワイはまだ僧侶じゃないし普通僧侶はちゃんと税金払ってるで
- 39: 名無し:22/12/17(土) 19:59:42 ID:dVaL主
- 40: 名無し:22/12/17(土) 20:00:00 ID:dVaL主
その33鳥を沼に放つと島が浮き出てきた
親鸞が老女にもらった雁を沼に放つと、突然沼から島が突き出した
今でもその島「雁嶋」が茨城県常総市に残る
- 42: 名無し:22/12/17(土) 20:00:46 ID:dVaL主
その34大蛇を救った
その34ア
下野国の八島明神の神社の近くに夫婦が住んでいた
妻はとても嫉妬深く自分の病気平癒を願い八島明神に夜ごと参拝する夫を、女に会いに行っているのだと勘違いし付け回した結果、その嫉妬心により人を食う大蛇となってしまった
ある時大蛇に神社の宮司の娘が捧げられることになった
- 43: 名無し:22/12/17(土) 20:00:58 ID:dVaL主
その34イ
宮司夫婦は嘆き悲しみ断食して八島明神に救いを願った
すると夢に明神が現れ「私の力では救うことができないが、この近くに親鸞という偉大な僧侶がおられる。その教えならば救われるだろう。」とお告げを下した
そこで宮司は慌てて親鸞に使いを出し、その教えを請い求めた
- 44: 名無し:22/12/17(土) 20:01:01 ID:INKQ
- 45: 名無し:22/12/17(土) 20:01:25 ID:dVaL主
>>44
文字通りこれから僧侶になるんや
今はまだ一学生や
- 49: 名無し:22/12/17(土) 20:01:55 ID:INKQ
- 53: 名無し:22/12/17(土) 20:02:26 ID:dVaL主
- 47: 名無し:22/12/17(土) 20:01:41 ID:dVaL主
その34ウ
そこで親鸞は念仏の教えを説き、死にゆく娘の心は晴れやかになったが、依然問題は解決していない
そこで親鸞は大蛇が現れた時を見計らい、口に念仏を書いた紙を投げ入れた
すると大蛇は穏やかな女性の姿になり、自分が救われたことを告げると、紫の雲に乗り極楽浄土の方向に飛んで行った
- 48: 名無し:22/12/17(土) 20:01:44 ID:9izr
- 51: 名無し:22/12/17(土) 20:02:13 ID:dVaL主
- 50: 名無し:22/12/17(土) 20:02:00 ID:xjbC
おんjやってる僧侶に葬式やってもらいたくない
- 52: 名無し:22/12/17(土) 20:02:19 ID:B0Qn
ワイん家は浄土宗
- 54: 名無し:22/12/17(土) 20:02:37 ID:5do5
どうでもいいけど
親鸞の伝説羅列してイッチはなにがしたいんや
- 57: 名無し:22/12/17(土) 20:03:03 ID:dVaL主
- 75: 名無し:22/12/17(土) 20:06:06 ID:5do5
- 78: 名無し:22/12/17(土) 20:07:06 ID:dVaL主
- 55: 名無し:22/12/17(土) 20:02:41 ID:dVaL主
その34エ
その時空から黒い蓮華の花弁が降ってきた
親鸞は大蛇を救った念仏の紙と、黒蓮華(いきれんげ)と呼ばれるその花弁を、弟子である明空に譲った
今でも茨城県下妻市の光明寺に黒い蓮華が残る
- 58: 名無し:22/12/17(土) 20:03:13 ID:9izr
- 61: 名無し:22/12/17(土) 20:03:46 ID:dVaL主
- 59: 名無し:22/12/17(土) 20:03:15 ID:dVaL主
その34オ
また茨城県結城郡八千代町の弘徳寺にはその大蛇の頭の骨が残る
同様の話は各地に伝わっている
茨城県石岡市の大増地域にかつてあった池にも大蛇が住んでおり、上の話と同じく嫉妬深く自分の病が治る様にと神社に願をかける夫を疑い、死後大蛇になったという
- 60: 名無し:22/12/17(土) 20:03:42 ID:Hsd9
わーてーわーてーはらそぎゃーてー
- 63: 名無し:22/12/17(土) 20:03:58 ID:dVaL主
その34カ
親鸞が近くを通りかかると近くの沼から大蛇が現れ道を塞いでいる
しかし大蛇は涙を流しておりただ事ではないと感じた親鸞が、「何か用事があるなら後で私の庵に来なさい。」と告げると、大蛇は喜んだ様子で水の中に消えた
その晩女の声が庵の外から聞こえ、自分が大蛇になった経緯を話した
- 64: 名無し:22/12/17(土) 20:04:18 ID:dVaL主
その34キ
それを聞き大蛇を憐れんだ親鸞は、自分の弟子とし「涼光」という仏教徒としての名前を与えて、教えを説き帰らせた
後日沼に大蛇の死骸が浮かんでいると知った親鸞がかけつけると、大蛇の頭には「涼光」と書かれた紙があった
親鸞は大蛇を埋めて塚を作り三日三晩お経と念仏を唱え続けた
- 65: 名無し:22/12/17(土) 20:04:34 ID:dVaL主
その34ク
するとその最中天から花が降り天女が降りてきた
天女は「良き師に巡り合えたおかげで、天界に生まれ変わることができました。」と話し、親鸞にお礼を言うと雲に乗って帰っていった
今でも大増にこの話を元にした地名が残る他、大蛇を埋めた塚も残っている
- 66: 名無し:22/12/17(土) 20:04:44 ID:INKQ
こんな馬鹿馬鹿しい事勉強するなよ
- 67: 名無し:22/12/17(土) 20:05:10 ID:dVaL主
- 68: 名無し:22/12/17(土) 20:05:16 ID:B0Qn
- 70: 名無し:22/12/17(土) 20:05:35 ID:dVaL主
- 69: 名無し:22/12/17(土) 20:05:24 ID:dVaL主
その34ケ
更に山梨県大月市の善福寺でも「毒蛇」を親鸞が救っている
この地域の地頭小俣尚家には「よし」という娘がいた
しかしよしは近くのお堂に修行に来ていた苦行僧に恋し、それが実らぬと分かると投身して毒蛇となり人々を困らせたという
- 71: 名無し:22/12/17(土) 20:05:46 ID:dVaL主
その34コ
そこで親鸞は小石に念仏を書き毒蛇の住む池に投げ込んだ
するとよしの霊は観音菩薩の姿となり、小石に導かれて南東の方角に去っていったという尚家はこの後親鸞の弟子となり、唯念と名を改め善福寺の住職も務めた
- 72: 名無し:22/12/17(土) 20:05:46 ID:o5RS
- 74: 名無し:22/12/17(土) 20:06:02 ID:dVaL主
- 73: 名無し:22/12/17(土) 20:05:57 ID:INKQ
- 76: 名無し:22/12/17(土) 20:06:27 ID:dVaL主
- 77: 名無し:22/12/17(土) 20:06:51 ID:INKQ
- 80: 名無し:22/12/17(土) 20:07:17 ID:dVaL主
- 83: 名無し:22/12/17(土) 20:07:52 ID:INKQ
- 85: 名無し:22/12/17(土) 20:08:02 ID:dVaL主
- 90: 名無し:22/12/17(土) 20:09:21 ID:INKQ
- 92: 名無し:22/12/17(土) 20:10:09 ID:dVaL主
- 79: 名無し:22/12/17(土) 20:07:10 ID:ycb8
イッチ無職?
弟いる?
- 82: 名無し:22/12/17(土) 20:07:44 ID:dVaL主
- 81: 名無し:22/12/17(土) 20:07:29 ID:dVaL主
その34サ
現在この寺には念が書かれた当時の小石と毒蛇の鱗が伝わる
また同様の小石が近隣の寺院にも残る
- 84: 名無し:22/12/17(土) 20:07:55 ID:dVaL主
その34シ
他には茨城県坂東市の阿弥陀寺には、龍を救ったという話が残る
親鸞が近くの池を船に乗り進んでいると、突然水面が沸騰し黒雲がたなびいて船が動かなくなった
更に水面から大きな龍が出てきたという
- 86: 名無し:22/12/17(土) 20:08:12 ID:dVaL主
その34ス
親鸞がなぜ現れたのか問うと龍は、かつて自分が人間の女性であり貧しさ故病の母をどうにもできず、苦しむ母を楽にするために手にかけたが、その報いで龍になったと話した
そして泣きながら親鸞に救いを求めたのだった
そこで親鸞が近くの石斧に念仏を書き込み、沼に放り込んでお経を唱えた
- 87: 名無し:22/12/17(土) 20:08:28 ID:dVaL主
その34セ
すると黒雲はたちまち紫の雲に変わり、美しい音楽や良い香りが広がった
龍は死骸を残し婦人の姿となり天に昇って行ったという
阿弥陀寺には現在も龍の髭が一本と龍を救った石斧が伝わる
- 88: 名無し:22/12/17(土) 20:08:45 ID:dVaL主
その35牛が寺を建てるのを手伝った
願牛寺は茨城県常総市にあり、親鸞が初代住職を務めた
その建立の際、不思議な牛がどこからともなく現れて材木を全て運んだ
そして運び終わると沼に飛び込み、その跡には牛の形の木片が浮かんでいたという
これが願牛寺の名前の由来である
- 89: 名無し:22/12/17(土) 20:09:00 ID:dVaL主
その36餓鬼を救った
その36ア
常陸国、現在の茨城県つくば市の筑波山神社にも親鸞の伝説が残る
親鸞が近くに宿泊すると、夢に老婆が現れ筑波権現の使いであると名乗り、「明日岩屋に来て頂きたい。」と言った
翌日親鸞が岩屋に向かうと岩の下に大きな釜があった
- 91: 名無し:22/12/17(土) 20:09:59 ID:dVaL主
その36イ
すると岩屋からたくさんの餓鬼たちが出てきた
そして「私たちは欲深いために餓鬼道に堕ちました。今は筑波権現のお慈悲でここに住まわせてもらい、釜の水を一日一滴飲めますがそれ以上飲むと水は火に変わります。」と言った
そして親鸞に救いを求めた
- 93: 名無し:22/12/17(土) 20:10:29 ID:dVaL主
その36ウ
そこで親鸞は餓鬼たちに反省を促すと共に、餓鬼たちと一緒になって念仏を二日二晩唱えた
すると餓鬼は水が自由に飲めるようになった
更にもう一日念仏を唱えると五色の雲が餓鬼たちを乗せ、極楽浄土の方向へ飛び立っていったという
- 94: 名無し:22/12/17(土) 20:10:53 ID:dVaL主
その37筑波権現の使いに見送られた
その37ア
親鸞が関東をあちこち歩いて布教をしていた時の話
川の近くで日が落ち暗くなってしまった
船はあるが船頭がいないので親鸞が困っていると、短い松明を持った十五、六歳くらいの童子が現れ、親鸞を船に乗せて川を渡し、更に住んでいたところまで送ってくれた
- 95: 名無し:22/12/17(土) 20:11:09 ID:dVaL主
その37イ
親鸞は礼を言いつつ、短い松明で川からここまで火が消えなかったことを不思議に思い、童子に「貴方は何者なのですか?」と問うた
すると童子は「私は筑波権現の使いです。権現の命により貴方をお送りいたしました。」と言って消えてしまった
- 96: 名無し:22/12/17(土) 20:11:24 ID:dVaL主
その38手の皮を剥がして念仏を書くと手が元に戻った
その38ア
親鸞が常陸国で教えを説いていた時の話
あるところにとても疑り深い女性がおり、親鸞がいくら教えを説いても既存の仏教に無かった教え、特に女性が救われることが信じられない
そこで親鸞は自分の手の皮を切り取り、流れる血で念仏を書き記した
- 97: 名無し:22/12/17(土) 20:11:40 ID:dVaL主
その38イ
女性が驚き理由を尋ねると、親鸞は「もし私の言う事が偽りなら傷は癒えないだろう。もし私の言うことが真実なら傷は治るだろう。」と言った
すると手はたちどころに元に戻ったという
この念仏が書かれた皮は現在、京都府京都市の真宗興正派本山興正寺に、宝物として残る
- 98: 名無し:22/12/17(土) 20:11:50 ID:INKQ
- 100: 名無し:22/12/17(土) 20:12:26 ID:dVaL主
>>98
具体的なワードとかニキのおすすめやの動画とかおすすみ聞いて良い?
- 99: 名無し:22/12/17(土) 20:11:53 ID:dVaL主
➃京都に帰る道筋から没するまでの話
その39箱根権現からもてなしを受けた
その40毘沙門天からお告げを受けた
その41天女が舞い降り錦を織った
その42親鸞が念仏を書いた紙をアリが守った
その43熊野権現と夢で相対した
その44聖徳太子に親鸞が礼拝される夢を見た
その45夢に現れた善光寺の阿弥陀如来の化身の僧侶と親鸞が同じ顔だった
- 101: 名無し:22/12/17(土) 20:12:40 ID:dVaL主
その39箱根権現からもてなしを受けた
その39ア
親鸞が京都へ帰るべく箱根を通った時の話
夜間親鸞が箱根権現の社の前を通ると、中から正装した神官が出てきた
彼が言うには夜通しお告げを受けるべく儀式をし、疲れてウトウトしていると夢に箱根権現が現れ、「今から私の尊敬する僧侶が参られるから厚くもてなす様に。」と告げたという
- 102: 名無し:22/12/17(土) 20:12:50 ID:dVaL主
その39イ
そこで親鸞はもてなしを受けた
この話は寺側の親鸞の伝記で有名だが、箱根神社の方でも同様の話が伝わっており、神社の宝物館ではその時感動した親鸞が、自ら彫ったという親鸞像が展示されている
また同様の伝承を持つ像が紆余曲折を経て、東京都台東区にある浄土真宗東本願寺派本山の、浅草本願寺に伝わる
- 103: 名無し:22/12/17(土) 20:13:03 ID:dVaL主
- 104: 名無し:22/12/17(土) 20:13:20 ID:dVaL主
その41天女が舞い降り錦を織った
その41ア
親鸞が野洲のお堂(後の錦織寺)で教えを説いていたある日
夜、お堂の内部に良い香りと光が溢れ天女が降りてきた
天女は男女一組の童子と錦で衣を織って親鸞に献上した
- 105: 名無し:22/12/17(土) 20:13:43 ID:dVaL主
その41イ
親鸞はそれを四条天皇に献上し、それを喜んだ天皇からこのお堂は、「天神護法錦織之寺」という名を勅額として賜った
錦織寺の名前はこれに由来するという
- 106: 名無し:22/12/17(土) 20:13:57 ID:dVaL主
その42親鸞が念仏を書いた紙をアリが守った
その42ア
親鸞が京都に帰った後の話
丹後国の山中に木子と木枕という二つの村があった
ここには平家の落人の男が二人住んでいたが、親鸞の弟子となり親鸞に念仏を書いてもらった紙を手に布教をしようとした
- 107: 名無し:22/12/17(土) 20:14:09 ID:dVaL主
その42イ
しかしこれらの村には元より神への信仰があり、「神が尊い」という者と「仏が尊い」という者で二つの村が真っ二つになった
そこで二人の弟子は「念仏の紙と神をまつる祠を同時に川に流して、不思議なことが起こった方を信仰しよう。」と言った
早速紙と祠を川に流すと祠はそのまま川を流れていったが、念仏の紙は岸に移動した
- 108: 名無し:22/12/17(土) 20:14:32 ID:dVaL主
その43ウ
村人が不思議に思いながら見に行くと紙をアリたちが守っていた
それ以来これらの村は親鸞の教えを信仰しているという
そして流された祠は川下の村に流れ着き、そちらの村では鎮守の祠が二つあるという
伝承ではその紙は蟻巻の名号という名で、敬念寺(きょうねんじ)に伝わるというが、京都府宮津市の教念寺(きょうねんじ)に、同様の謂れを持つ念仏を書いた紙が残る
- 109: 名無し:22/12/17(土) 20:14:48 ID:dVaL主
その43熊野権現と夢で相対した
その43ア
親鸞の教えを信じる常陸の平太郎という者が、主の代わりに熊野権現に参拝することになった
そこで念仏の教えと熊野への参拝は両立するのかと、平太郎は参拝の途中京都の親鸞に質問しに行った
親鸞は「熊野権現は阿弥陀如来の化身であるから、神道の儀式をせずお参りすれば良い。」と教えたので、平太郎はその通りに禊などの神道の儀式をせず参拝を行った
- 110: 名無し:22/12/17(土) 20:15:04 ID:dVaL主
その43イ
すると夢に熊野権現が現れ、「何故お前は何もせずに参拝をしたのか?」と、平太郎を問い詰めた
すると更に夢に親鸞が現れ、「この者は私の弟子で念仏を唱える者です。」と言った
それを聞くと権現は姿勢を正し、親鸞にお辞儀をしたという
帰り道、平太郎がまた京都に寄って親鸞に夢の内容を話すと、親鸞は「そういう事だ。」と言ったという
- 111: 名無し:22/12/17(土) 20:15:28 ID:dVaL主
- 112: 名無し:22/12/17(土) 20:15:34 ID:o5RS
- 113: 名無し:22/12/17(土) 20:15:57 ID:dVaL主
- 114: 名無し:22/12/17(土) 20:16:09 ID:dVaL主
➄没後の話
その45自筆の念仏を書いた紙が神罰を防いだ
その46親鸞が自作の像が池に移動しお経を読んだ
その47信心が浅いものを咎めるために障子の影に現れた
その48親鸞自作の像が地面の中で動き出した
その49親鸞の画像が水底で光り時間がたっても朽ちなかった
その50親鸞自作の像を善通寺に遅れとお告げを下した
- 115: 名無し:22/12/17(土) 20:16:22 ID:dVaL主
その45自筆の念仏を書いた紙が神罰を防いだ
その45ア
親鸞の教えが盛んになり、やがて石山本願寺を中心として織田信長と戦をした時の話
毛利家家臣の児玉豊後守が兵糧を本願寺に献上した際に、本願寺トップの顕如は親鸞自筆
の念仏を書いた紙をお礼に渡した
しかし豊後守は「武士として生まれたからには良いことと悪いこと、両方で名を残そう。」と思い、帰り道である神社の御神木を切り倒したために、神罰で帰りの航路で海が大荒れになった
- 116: 名無し:22/12/17(土) 20:16:39 ID:dVaL主
その45イ
そこで念仏を書いた紙を海に投げ入れると、ピタリと海が静まった
後で豊後守が船の先を見ると、確かに海に投げ入れたはずの紙が引っかかっていたという
- 117: 名無し:22/12/17(土) 20:16:54 ID:dVaL主
その46親鸞が自作の像が池に移動しお経を読んだ
その46ア
岩手県盛岡市の本誓寺には、「蓮かぶりの尊像」という親鸞像が残る
親鸞の自作のこの像には不思議な話が残る
ある時寺が火事になり、この像は助け出すことができずに、人々は像は焼けたものと思っていた
- 118: 名無し:22/12/17(土) 20:17:02 ID:o5RS
- 120: 名無し:22/12/17(土) 20:17:18 ID:dVaL主
- 119: 名無し:22/12/17(土) 20:17:08 ID:dVaL主
その46イ
しかししばらくすると、境内の池からお経を読む声が聞こえてくる
人々が池を調べるとそこに件の像があった
その際に像の頭に蓮が一本付いていたため「蓮かぶり」というらしい
- 121: 名無し:22/12/17(土) 20:17:31 ID:dVaL主
その47信心が浅いものを咎めるために障子の影に現れた
親鸞のひ孫覚如はある時、親鸞の教えに背く行為をした息子存覚を絶縁した
その後、仲介もあり覚如は存覚を許したが、存覚がお経を唱えていると近くの障子に親鸞の影が映り、存覚を咎めたという
- 122: 名無し:22/12/17(土) 20:17:47 ID:dVaL主
その48親鸞自作の像が地面の中で動き出した
その48ア
埼玉県吉川市の清浄寺には「オムク様」と呼ばれる親鸞が自ら彫った親鸞像がある
かつてこの像は信濃国の長命寺にあったが、戦で寺は焼け住職は像を田んぼに埋めた
戦が収まったころ田んぼの一角がムクムクと動きだした
- 123: 名無し:22/12/17(土) 20:18:06 ID:dVaL主
その48イ
そこでその場所を彫ると件の像があったという
また像を彫りだしたころ、疫病が広がっていたがこの像に触ると病が治ったという
- 124: 名無し:22/12/17(土) 20:18:18 ID:dVaL主
その49親鸞の画像が水底で光り時間がたっても朽ちなかった
その49ア
岐阜県大垣市の永寿寺には、「切込(きりはめ)の御影」という親鸞の絵図が伝わる
伝説によると親鸞が自ら筆を執り描いたという
ある時近くの川の堤が切れ、寺が水没し絵図も水の中に浸かった
- 125: 名無し:22/12/17(土) 20:18:41 ID:dVaL主
その49イ
それから後、何時の頃からか川が光るようになったので、人々は不思議に思い川が枯れた時を見計らい近くを探すと絵図が見つかったという
そして他の箇所は朽ちていたが、親鸞の絵の部分は朽ちていなかった
- 126: 名無し:22/12/17(土) 20:18:54 ID:dVaL主
その50親鸞自作の像を善通寺に遅れとお告げを下した
その50ア
四国香川県の善通寺市にある善通寺は、弘法大師空海の生誕地に建つ寺であり、かつてこの地域に流された親鸞の師である法然も参拝して、石塔を建てていた
それを関東で聞いた親鸞は自分も善通寺に参拝することを望んだが、叶わないので下総国鎌田の吉田源五左エ門の家で自分の像を彫り、いつかこれを善通寺に送ってくれと頼んだ
しかしそれから八代後になっても、像は吉田家に留め置かれていた
- 127: 名無し:22/12/17(土) 20:19:17 ID:dVaL主
その50イ
ある日家主の夢に親鸞が現れ「早く像を善通寺に送ってくれ。」と言った
そこで像は善通寺に送られ、今は鎌田の御影と呼ばれ善通寺親鸞堂に祀られている
- 128: 名無し:22/12/17(土) 20:19:28 ID:dVaL主
➅おまけ
その51妻が親鸞は観音菩薩の化身だという夢を見た
その52各地に残る親鸞参拝伝説
- 129: 名無し:22/12/17(土) 20:19:45 ID:dVaL主
その51妻が親鸞は観音菩薩の化身だという夢を見た
その51ア
大正時代に発見された、親鸞の妻である恵信尼の手紙に書かれていた話
ある日恵信尼は夢を見た
鳥居とお堂がある場所に恵信尼は立っており、お堂には二つの掛け軸がかかっている
- 130: 名無し:22/12/17(土) 20:19:58 ID:dVaL主
その52イ
しかしよく見えないので、隣の人に「あの掛軸は何が描かれているのですか?」と聞いた
すると「片方は法然様の絵でこの方は勢至菩薩の化身です。もう片方は親鸞様の絵で観音菩薩の化身です。」と言われたという
- 131: 名無し:22/12/17(土) 20:20:13 ID:dVaL主
- 132: 名無し:22/12/17(土) 20:20:43 ID:dVaL主
月輪寺は、親鸞の師法然の支援者である関白九条兼実が隠居した寺とされ、兼実と流罪になる法然、親鸞が最後に挨拶をし、池に映った自分の姿を彫ったとされる
また親鸞と法然が植えたという時雨桜が残り、涙を流すという伝説がある
- 133: 名無し:22/12/17(土) 20:20:58 ID:dVaL主
- 134: 名無し:22/12/17(土) 20:21:09 ID:dVaL主
西明寺には親鸞が越後へ流罪になる時に、道中近江のこの寺を通り比叡山時代の旧友と話をしたという伝説が残る
五智国分寺は越後にいた頃の親鸞が庵を結んだ場所とされ、親鸞が池に映った自分の姿を彫ったという像が残る
- 135: 名無し:22/12/17(土) 20:21:22 ID:dVaL主
越後から関東に向かった親鸞は、途中善光寺に立ち寄ったとされている
善光寺には親鸞が松の枝を仏前に捧げたという伝説があり、今でもその名残で善光寺では仏前に松の枝を供えるという
また親鸞が爪で石に彫った阿弥陀来像親鸞が残っている
更に笹の葉を集めて念仏を書いたという伝説、およびその笹の葉の文字を描き写した笹字の名号が宿坊に残る
- 136: 名無し:22/12/17(土) 20:21:44 ID:dVaL主
一説には親鸞は越後から一旦京都へ戻り、そこから伊勢を通って関東へ行ったとされ、伊勢神宮に親鸞が参拝したという伝説が残る
後に記された親鸞の伝記には、親鸞が神宮を通る前にこの地で宿をとると、宿の主人が「名僧や高僧がこの地を通ると雨が降る」という伝説を語り、蓑を差し出したという話
そして親鸞が蓑をつけていくと、「神宮の神の崇める僧侶が蓑をつけてここを通るから、神宮の中に入れよ。」というお告げを受けた神官が、待っていたという話がある
- 137: 名無し:22/12/17(土) 20:22:01 ID:dVaL主
引用元:https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1671274316